富士山!

 私の名前は安田峯次です。富士山にちなんで父親がつけてくれた名前です。3年前、富士山のふもとの町を去るとき、浜松へもどる懐かしさの一方で、断ちがたい寂しさも感じていたのは、富士山に対しての私なりの想いからでした。富士山に見守られている安心感が、医療過疎の町での苛酷な労働環境においても、時に勇気を与えてくれ、時にはつかの間の安息の糧になりました。

 見つけました!!!

「安田クリニック」の診察室の窓から、富士山が見えるではありませんか!
この季節になると、浜松市からでも富士山を見つけることは出来ますが、条件に恵まれた場所からしか見られません。なんと、その一つが安田クリニックなのです。
 受験生の親が、心配そうにそっと勉強部屋の様子をのぞき見る姿にも似て、なんとも奥ゆかしくそこにいるのです。
 御殿場の有隣厚生会富士病院は、その名のとおり、富士山のふもとにあって、富士山測候所の職員の急病などに対応する役割もしてきた、富士山の眺めの素晴らしい病院でしたが、その富士病院でさえ、さすがに外来診察室から富士山を見ることは出来ません。

 浜松〜御殿場間を移動するのに結構時間と体力がいるほど静岡県は「ながーい」と感じていましたが、浜松から富士山を見ると、結構近いもんなんだな、人間て小さいんだな、という気もします。
 それもこれも、富士山の大きさ、美しさ、存在感の故なのかもしれません。

 そのふもとの町のリーダーには、「市民が健康に暮らす環境を守ってきた実績」のある人であって欲しいと願っています。
 あちこちで、公的病院どころか、ともかく1件の診療所でさえも地元でお産ができる施設が確保出来ずに、地域行政の政治責任が問われる騒ぎを聞く時代です。医療過疎の町の、今の医療環境を守るだけでも大変なことなのです。
 たった1件の産科の診療所がお産の灯を絶やさずにいることに、実は大変な努力が必要なのです。粘り越しで打たれ強い根性の人の、縁の下の力持ちとしての地道な取り組みがなくては、いつ消えてしまってもおかしくなかった灯といえるでしょう。しかし、今までと同じ取り組みを民間だけで同じように続けるだけでは、産科だけでなく救急医療など、地域のインフラとしての医療が、日本全国に波及している医療の危機の波にすぐさまひっくり返されてしまう危険性が迫っています。
 御殿場市民でいた10年間、昨今の医師不足の何十年も前から医療過疎だったこの町で、市長選挙、市議会議員選挙、県議会議員選挙と、何回も地元のリーダーを選ぶ節目に眼と耳を凝らしましたが、本当に不思議で悔しいことに、この医療過疎に対しての危機感を口にする候補者に一人もお目にかかったことがありませんでした!

 政治家としての可能性・資質に経験が必要なのは分からないでもありませんが、政治家としての資質を評価できる経験と実績が行政府の中だけでのみ得られるものだとしたら、民間の経験・視点を全く持たない政治家ばかりなら、この社会は良くなるというのでしょうか?公的なインフラに相当する事業を、民間人として守ってきた実績があるなら、公的な役割を与えれば、よりいい仕事をするかも知れません。
 少なくとも、今まで地域の政策を論争するのに、医療過疎の町において医療の医の字すら出てこなかった町において、静岡県という広がりの中で新聞・テレビにこの町の医療の今後を語ることが出来たとするならば、小さくても大きな一歩をふみ出させたという点では、いままでに見ることができなかった大きな政治的実績という気がします。

 照れ隠しの笑顔の中に、ガチンコの熱い思いと根性を隠していることを私は知っています。今でも御殿場に仕事に行くのは、友情が私の背中を押すからです。