コミット中

 大晦日。春には開院10周年を迎え、安田クリニックにとって、節目の年でした。この機会にと、
意を決してRIZAPのお世話になり、9カ月が経ちました。現在までに順調に結果にコミット中です。
 私が糖尿病や高脂血症の患者さんを指導するのは、正直なところ反面教師ネタの後ろめたさがあったのですが、10kg体重が落ちたあたりから、気が付いたかかりつけの患者さんから御質問をいただくようになり、20kg減ったあたりから、「先生、病気じゃないよね?」と、気を使って受け付けでおそるおそる情報収集をされる方が増えてきました。
 体重減少効果もさることながら、フィジカルトレーニングにより体幹の筋力がついたことで、デスクワークの姿勢がよくなり、ワープロのタイピングがスピードアップしたことと手書きの書類の誤字脱字が減ったことは、ありがたい副産物でした。
 よく、「ジムでトレーニングしたから、ゴルフの飛距離も戻ったでしょう。」と御質問をいただくのですが、確かにその片鱗を感じさせるショットもチラホラと出始めているのではありますが…。なにせまだ体重減少の途上にあります。これまでのペースでは毎日100g自分の肉を処分し続けているので、1番ホールのティグランドですでにラウンド終盤のようなスタミナで立つわけですから、車で言えばエンジンや足回りをチューニングの途中で、燃料切れ寸前の運転をしているようなものです。ショットのへなちょこ率の改善は、来年の前向きな宿題になりました。

愛犬よ永和に

 8年前の夏、我が家に「まる」ちゃんはやつてきました。おとなしくて、どこかやつれているようかのようにはかなげにほっそり華奢で、それでいて凛とした気品を漂わせながら、不安げな眼差しに、正直なところ犬を飼うことにあまり乗り気ではなかった私だったはずなのに、すっかり心を奪われてしまったのでした。
 まるちゃんは、雌の柴犬で推定17歳。なぜ推定年齢なのかというと、まるちゃんには、私たち家族の知らない名前で呼ばれていた時代が以前にはあったのです。
 殺処分寸前のところをボランティアグループに保護された後、縁あって我が家の一員になってくれたのでした。
 賢いまるちゃんが「まる」「まるちゃん」と自分のことを呼ばれているのだと理解するのには、それほどには時間を要しなかった気がしますが、私たち家族にとってまるちゃんは「まる」なのに、知らない過去の世界を想像しようとすると切なくなります。
 まるちゃんの賢さ、愛らしさ、気品。もとの飼い主さんに愛されて育てられたからこそのたまもののはずなのです。どこで何があって、そんな過去の幸せと名前を失って、やせっぽちの「まる」ちゃんになったのかと思うと、「まる」は心底幸せな「まる」ちゃんでいてもらわなければいけないと、私たち家族は思ったのでした。
 車に乗せても、排泄のそそうなどすることなどなかったまるちゃんに、衰えが見てとれるようになったのは、1年ほど前のことでした。
 今年の酷暑では、さすがに呼吸も小刻みで、いよいよかなと私たち家族も一旦は覚悟を決めて、夏休みの箱根旅行もドタキャンしたのですが、何とか持ち直した頃にはクルクルと右回りに同じ円を描くように歩くだけで、もう眼が見えていない状態にあるのは明らかでした。
 12月19日の朝10時過ぎに、まるちゃんは息を引き取りました。
 ペットを飼わなければ、ペットを失った悲しみを抱くことはありません。でもその悲しみは、ともに過ごした時間がかけがえのないものだからこそ押し寄せてくる感情であり、8年前にまるちゃんを引き取る決断を家族でしたことは、本当に素晴らしかったと感慨にふけっています。まるちゃんとの出会いをくださった皆さんに家族一同感謝しています。
 
 

大河ドラマ


 今年のNHK大河ドラマおんな城主 直虎」がスタートしました。初回からスリリングでスピード感溢れるストーリー展開で、次の放送日が待ち遠しくてたまりません。特に子役のみなさんの愛らしくも迫真の演技力が、過酷な時代の空気を映し出していたと思います。
 舞台の井伊谷は、日常的に往診に訪れる地域です。今でも美しい田園風景が心を癒してくれますが、名門の井伊家にも、かつて存亡の危機があったということを、この静かな自然豊かな風景が対比的に語りかけてくれます。

センチメンタル

 クリスマスイブです。
 ささやかで平凡な日常こそが、幾多の偶然を必然性としての縁や巡り合わせが紡ぎ出してくれた、幸せの本質であることを実感します。
 常にそこに在るべきものが、そこに居てくれるありがたさ。それをもっとも痛感するのは、実は、そこにあったものが変質する時なのかもしれません。
 私や家族にとって、今の平凡な日常のよりどころだった二軒のお店が、この年末に長い歴史の幕を閉じることになりました。
 ライトアップは、「不良医大生」とは名ばかりで、臆病で誰よりも自分自身が自分のことを好きになれずにモンモンとしていた若造だった頃、先代のママさんから「ウーロン茶はタダだから、淋しかったらいつでもおいで!」と言われて以来、気がつくと30年の月日が経ちました。こんこんと話しを聞いくれる診療スタイルは、ママさんから授けられたかけがえのない遺産だと、感謝を忘れたことはありません。このお店が青春時代の「失恋レストラン」だったのは、他の常連客も同じだったようで、お店を残して欲しいと泣きながらせがむ多くの声に、会社を退職してお店を再出発をしてくれた寡黙な現マスター夫妻。それも17年の歳月が積み重なり、29日にフィナーレを迎えます。
 御殿場駅前佇むカフェ・マルタは、敬虔なクリスチャンが店主の、静かでたおやかな時間が香り高いコーヒーやハーブティーとともに織りなす癒しの空間です。店主から、このクリスマスで19年の歴史に幕を降ろすことになったと家内に御連絡をいただいたのは一昨日の22日のことでした。

 慌てて、取るものも取りあえず、23日に家族で駆けつけました。
 親族のいない町での双子の子育ては、連日手術や当直で家にいない、およそイクメンとはほど遠いパパを持ってしまったママや子供達にとっては凄絶な日々でした。カフェ・マルタのみなさんが、まるで孫に注ぐような眼差しでパスタを頬張る息子達を見守ってくださったことは、人は善意の存在であることを理屈抜きに教えてくださったと思います。

 マルタでいただく、いよいよ最後の1杯。香りが鼻腔を突き抜けて、涙腺まで働きかけてくるようでした。