富士山


 御殿場の病院に10年勤めていました。3年前に現在の職場(磐田市の新都市クリニック)に移ることになり、退職したのですが、現在も非常勤で月に2回ほど診療に来ています。
 さすがに、この町から見る富士山の美しさは筆舌に尽くしがたく、晴れてもよし、雲がさしていてもよし、夏の真っ青な富士山もよし、冠雪した姿はなお美しく、山裾まで雪の白衣をまとった姿は(御殿場の市街地は標高550mほどの位置にあるので、そのように見えます)気品にあふれ、月光を反射して夜空の屏風を背にくっきりと白く輝く様は、星がただの引き立て役になってしまうほどあでやかで神秘的です。
 私が生まれる年に、父が富士山の初夢を見たことから、山にちなんだ「安田峯次」という名前を命名してくれました。その私が、富士山のふもとで、この山の名前を頂いた病院において10年の月日を過ごし、外科医としてかけがえのない日々を過ごしたことを思うと、「縁」の力の不思議を感じます。
 「医療過疎の町を守って来い」との教授命令をいただいて、そのつもりで外科医としての最も重い大切な10年を過ごしました。しかし、われわれ医療者が医療過疎の深刻さに日々心を痛め、体に鞭を打つ日々を過ごしても、肝心の地域社会のなかに、医療過疎の問題を直視する機運など殆どといっていいほどありませんでした。
 なるほど、よその町に引っ越して長期に居住したり、たまたま大病をして救急車のたらいまわしをされるような事態に遭遇でもしなければ、自分の生まれ育った町で平穏な暮らしをしている間は、その町のインフラをスタンダードなものと誰もが思うものです。よその町と比べて恵まれているのか、危機的なギリギリの環境にいるのか、あるいはおそまつなのか、判断をすることも難しいし、その必要に迫られることも無いかも知れません。空気のように、そこにあることが当たり前だと、それがなくなることの危機を想像し、怯える者は少ないものなのかもしれません。ある意味、私たちがしていた日々の取り組みが、ある程度機能していたからこその無頓着さと考えれば、私もよい病院で仕事をさせてもらった達成感を感じないわけでもありません。だからこそ非常勤でもここにまだ仕事を持っているのですが。
 しかし、私は、ここに、日本の地域医療が抱える問題の縮図が隠されているように思います。かろうじて守られているにすぎないのかもしれません。空気のような存在とされているだけならまだしも、「田舎町だから、たいした程度でないのは仕方が無い。交通が発達した時代だから、万が一病気になったら、都会の大病院に行けばよい」と妙な達観した空気に触れることが多いことも見逃せなかったからです。
 人口が9万人、小山町の2万人を合わせて11万人以上もの人々が暮らしている地域です。観光・レジャーが主力産業の一つで、他地域から客として訪れる人たちのニーズまで合わせると、決して田舎町の医療であることは許されません。継続させるにしても、より良くさせるならなお、地域社会全体で問題を共有し、理解し、関わっていく必要があります。
 行政者が運営する医療機関に、減収あるいは診療科の縮小や閉鎖などの支障が生じれば、政治的責任を問われる事例も多いはずですが、民間の医療機関が地域医療を必死に守り、成長させても「政治的実績」とは評価されないかもしれません。
 しかし、一人の人間・患者として、よい病院・よい医者にかかる権利は、医師・看護師が公務員であるか民間人であるかの問題とは関係なく重要です。