節目の年でした。

 年越しのカウントダウンが始まりました。今年は、私にとって大きな節目の年でした。
 永年の無理と不摂生のしわ寄せで、春先には入院生活も経験しました。自分が患者となってみて、医者として自分が守ろうとしてきたものの本質が、骨身にしみて分かった気がします。
 退院後、「ゲゲゲの鬼太郎」実写版映画がテレビで放映されていたのを、たまたま家族とともに見ました。妖怪とのトラブルに巻き込まれて黄泉の国へ旅立った父親が、妖怪列車で鬼太郎とともに追いかけてきた息子と最後(になるはずだった)キャッチボールをするシーンに、自分を重ね合わせて思わず涙してしまいました。
 年が明ければ、いよいよ「安田クリニック」誕生の春がやってきます。昨今、「開業」が「医師不足」の元凶と指摘する方もいます。以前、複数の先輩から「地域医療の鬼」と呼ばれたことのある安田峯次にとって「開業医」になるという選択を「燃え尽きたのか?」とその中のある先輩から尋ねられたことがあります。
 しかし、私が10年間におよぶ医療過疎地域での外科勤務医としての経験で学んだことは、地域の開業医が正論を堂々と吐き、その地方の医療行政の健全性を守っている姿でした。常に正論を吐く「開業医」の先生方に仕事ぶりを褒められると、若い勤務医だった私には、掛け値の無い自信とみなぎる責任感が与えられました。また、かかりつけの「開業医」の先生を通して得る患者さんの信頼は、揺るぎの無い絆を培ってくれました。その地域を愛し、その地域に根を下さなければ「開業医」は誕生しません。
 私が外科の「病院勤務医」でありながら、50例の在宅死を見届けたというと、たいていの同業者が驚きの表情を浮かべてくださいます。確かに、3人の外科常勤医で年間200例の全身麻酔手術を筆頭に外来・検査・化学療法・看取りの医療と往診を行うのは、簡単ではありませんでした。しかし、裏を返せば、「開業医」ならではの仕事として行うのならば、もっと多くの患者さんに貢献できる道でもあるということではないでしょうか。「幸せ」の本質は、誰もがその重みを失いかけてはじめて気がつくような、平凡な日常の中にあり、その最たるものが「命」なのではないでしょうか?
 「開業医」が存在感を発揮することが、この「医療崩壊」を再生させる鍵を握っていると、医療過疎地の10年を守ってきたその経験を元に確信しているところです。
 2009年、新米開業医として真価を問われる旅立ちの年を迎えます。