文明開化

 昨日は22日。昨日は、これといって、特にかわりばえのしない平凡な一日でしたが、特別な22日でもありました。これからは、毎月22日は、「2」が白鳥に似ていることに引っ掛けて、「スワンスワン」の「禁煙の日」になるそうです。
 オヤジギャグは、ギャグそのものはスイートスポットをビミョーに外し、その場の空気に生じる一瞬の寒さに、かえって人間関係を少しあたためるところに神髄があるような気がしますが、そんなことをつい彷彿とさせたビミョーにして絶妙なネーミングです。
 日本での喫煙を取り巻く状況は、およそ先進国として似つかわしくないほど低レベルであることは有名です。最近、徐々に禁煙指導を希望される方がいらっしゃるようになりましたが、まだまだ禁煙についての認識は前時代的な状況にあると言わざるをえません。
 床に落ちたタバコの火を消そうとして脇見をしたトラックが、対向車線の軽ワゴン車に正面衝突をしたという傷ましい事故が報道されていました。  常々気になっていたのですが、運転中の携帯電話の使用は処罰対象になるのに、運転中の喫煙については全く問題視されなかったことが不思議で仕方ありません。くわえタバコといっても両手は自由な状態にはないはずです。常に一定の間隔で灰を灰皿に落とさなければならず、必ず目線をそらす瞬間があるはずです。ましてや、火が手に当たらないように運転操作をするはずで、手に当たろうものなら熱くて運転操作が何らかの形で障害されるはずです。運転に専念しているとはいえない状態にあるのは、携帯電話片手に運転している状態と本質的には同じ次元の問題なのではないでしょうか?
 携帯電話の問題は、ハンズフリーの機器を導入すれば、解決の道筋もあります。しかし、運転中の喫煙に、口にくわえたタバコにハンズフリーのままで自動的に火をつけてくれたり、灰を処理してくれるようなハンズフリー機能を装備した自動車が近い将来に実現でもするのでしょうか?もしもそんな装備が運転席にあったとしたら、運転の妨げにしかならないことは、想像するに難くありません。
仮に喫煙を嗜好として楽しむことが、大人の自己責任の元にゆるされた自由だとしても、他者に迷惑をかけたり、危険や危害を与えたり、秩序を乱すことは、厳に慎まねばなりません。
 いよいよというのですか、やっとというのですか、ようやく公共の空間を全面喫煙化することを義務づける法律が制定されるらしいと聞きました。厳しくなるなあと思っている方もいらっしゃるでしょう。しかし、これでやっと、世界の標準的な水準に近づいたにすぎないのです。
 食事中に他人の面前でゲップをやおならをすることが重大なマナー違反であることは、誰も疑わないでしょう。しかし、ゲップやおならのほうが、他人のタバコの煙に比べてはるかに化学的には無害なのです。ニコチンのみならず、ダイオキシン一酸化炭素ベンゼンを望んでいないのにもかかわらず吸わされるくらいなら、握りっ屁のほうが、よっぽどましなのかもしれません。
大河ドラマ龍馬伝」が評判で、世は幕末ブームのようです。喫煙を伝統や文化だと言い張る方もいらっしゃるようですが、坂本龍馬などの幕末・維新の英雄達が、世界の潮流に乗り遅れたことに危機感を抱いて倒した幕藩体制は、三百年の泰平を保ってきたものです。喫煙の歴史は、それと百年ちょっとしか変わりません。むしろ、タバコが庶民のたしなみになったのは、坂本龍馬達が挑んだ三百年の歳月よりもずっと少ないものにすぎないという見方もあります。タバコを取り巻く環境が、ようやく世界の潮流に追いつく節目の年の記念すべき22日の翌日に接した、タバコの別の側面での犠牲者のニュースに胸が痛むとともに、禁煙指導を仕事とする医師として、教訓としていかねばならないと思うのです。