エコとエゴ


9月30日の午後は、御殿場の富士病院内視鏡と外来診療を行ってきました。
都田の診療所をお昼に慌てて飛び出して、一時過ぎのひかり号になんとか乗り込んでホッとしたのもつかの間、目の前のポケットがゴミ箱と化していることにあぜんとしました。ビールの缶に、うっすらと湿った状態で丸められたティッシュペーパーと、何故かそれらに不釣り合いなまでに丁寧に折り畳まれたレジ袋。こんなに几帳面に袋をたたむ根気があるのならば、缶と汚らしいティッシュ (ただし、見ず知らずの私がきたならしいと感じるのはともかく、置き去りにした張本人にとっては、自分の下着を洗濯機に入れる程度の感覚しかないはずだと思いますが)をこの袋をたたまずにその中に入れて下車駅のホームのゴミ箱に分別して捨ても、何ら手間はかからないと思います。これはりっぱな不法投棄です。
ゴミの処分が嫌ならば、ゴミになりうるものを買わなければよい?だけのことです。自分が心地良ければ、他人が迷惑を被ろうとどうでもよいというエゴが、環境を破壊し続けてきた元凶のような気がします。今回のエゴが生んだしわ寄せは、私という見ず知らずの中年オヤジにふりかかっただけのことですが、こうしたことの積み重ねが、いずれは自らの愛すべき子供達の未来に厚い暗雲をもたらすのではないでしょうか。
昨今、インフルエンザの流行が懸念されていて「せきエチケット」の重要性が叫ばれていますが、「せきエチケット」の本質は、お互いの思いやりです。無神経で近視眼的なエゴは、危機の歯止めをなくしてしまいます。
がっかりしてやるせない気持ちで中日スポーツを読み始めて間もなくのことです。
前例の通路側に座っていた年配の女性が突然気分を悪くして、戻してしまいました。女性は一人で京都から東京に向かうところだったようで、とっさに、隣りに乗り合わせた中年の女性が介抱はじめたと同時に、「お医者様はいらっしゃいませんか?」と大きな声で叫びました。吐物をものともせずに体をさする、あまりに鮮やかな行動に感心する間もなく、私の他に看護師さんらしき女性も加わり、三列シートの手すりを上げて年配の女性を右横に横たわっていただき、様子を見ていましたところ、ほどなく落ち着かれました。
車掌さんや客室係りの女性が、やさしく吐物を拭いてくれて、氷水や毛布を差し入れてくれました。見ず知らずの人の迷惑をかえりみずに捨て置かれたゴミに幻滅した直後に、困った人を捨て置けない勇気ある人たちとの一期一会の出来事に、世の中って捨てたもんじゃないなと、三島駅の階段を降りる足取りも、心なしか軽くなりました。