富士山!!!


先週とはうって変わって、御殿場にも春の訪れを感じさせる穏やかな一日でした。今日で、長年の職場としてきた有隣厚生会富士病院での本格的な仕事も、実質的には区切りをつけることになります。
 「御殿場の病院へ行ってもらえないか?大腸の内視鏡が出来る外科医が必要なんだ。」当時の医局長に告げられたのは、エコー室に入ろうとした大学病院の外科外来の廊下でした。日本代表が、ブラジル代表を破ったアトランタの奇跡の直後の朝でした。
 「え、私がですか?」
 医局員の間では、御殿場の医療過疎が度々話題になっていました。
 まだ「青年医師」だった私にとって、人口10万人の中核病院の外科の診療を背負えるのだろうかという不安な気持ちと愛着のある浜松のまちを離れることへの惜別の思いが入り混じっていた13年前が、まるで昨日のことのように思い出されます。
笑い、泣き、怒り、時には転びながら走り抜けた13年でした。医師として、かけがえのない日々を送ったところです。育てていただいたと、感謝しています。
今日の富士山は、あでやかな羽衣をまとったかのような、神々しくも優しい姿で出迎えてくれました。
これから、めったに、この美しい姿にも会えないのかなと、少しセンチメンタルになってしまいました。
長く同じ病院で仕事をすると、自分が手術をさせていただいた患者さんがいつの間にか米寿を迎えていたり、90歳を超えてなお、ニコニコと歩いて外来の扉をくぐってこられる方もいて、命の節目をあずけていただいたのだなぁと、この仕事を与えられたことの素晴らしさを実感します。なかには、浜松まで通うと言いだす方までいらっしゃいまして、うれしいやら切ないやら、胸がいっぱいになりました。
決めました。もちろん、自分の診療所が大切ですが、建物には基礎工事が施されていますが、私の足に杭が打ってあるわけはありません。浜松の安田クリニックも、御殿場の富士病院も富士山の見える場所なのです。これまでほどは密にというわけにはいきませんが、何らかの形で、私が手術をさせていただいた命が、次から次へと百歳を迎える姿を見届けさせていただきます。なにせ、3年前に浜松に帰ってきた頃には、御殿場に往診をしていたのです。そのフットワークがあれば、浜松でこれから行う在宅医療に、限界などなくなるはずです。